陰陽座『酒呑童子』の歌詞考察 – 一方的な正義を振りかざす者への不服従の表明

陰陽座歌詞考察

大江山に住んでいたとされる鬼を題材とした陰陽座の作品『酒呑童子』。

伝承をもとに酒呑童子を描写したこの作品は、陰陽座自身を表現したものでもある。

この記事では、『酒呑童子』の歌詞について解説し、歌詞の中に込められたメッセージを読み解いていく。

大江山の鬼の頭領

酒呑童子は、京都の大江山に住んでいたと伝わる鬼の頭領のこと。

酒好きだったことから、この名で呼ばれている。

伝承では都を荒らす無法者の鬼として、最終的に源頼光とその配下の四天王たち(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)に太刀で首を切断されて打倒された。

酒呑童子にまつわる伝承はいくつかあるが、概要としては下記の通り(『大江山絵詞』より)

平安時代、京の都では酒呑童子による人さらいが相次ぎ、源頼光に鬼退治の勅命が下る。
頼光は配下の四天王や藤原保昌らと共に酒呑童子の拠点である大江山へと向かう。
頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、一夜の宿をとらせてほしいと頼む。
酒呑童子らは京の都から源頼光らが自分を成敗しにくるとの情報を得ていたので警戒し様々な詰問をする。
なんとか疑いを晴らし酒を酌み交わして話を聞いたところ、大の酒好きなために家来から「酒呑童子」と呼ばれていることや、平野山に住んでいたが伝教大師(最澄)が延暦寺を建てて以来、そこには居られなくなり、大江山に住みついたことなど身の上話を語った。
頼光らは八幡大菩薩から与えられた「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)という毒酒を振る舞い、鬼たちが酔いつぶれたのを見計らって、隠していた鎧兜に身を固め酒呑童子の寝所を襲い、身体を押さえつけて首をはねた。
生首はなお頼光の兜を噛みつきにかかったが、仲間の兜も重ねかぶって難を逃れた。
一行は、首級を持ち帰り京に凱旋した。

歌詞の解説

赤るも 倫(たぐい)護(まぶ)り 私慝(しとく)を 咎められど

等閑(なおざり) 午睡の余花 解け合う 故(ゆえ)抔(など)亡く

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

“倫”は「たぐい」と読む場合は仲間という意味になる。
また“倫”は倫理という言葉にその字が使われるように、守るべき道筋という意味もあり、“倫”一字でみちとも読む。
このことから“倫”は酒呑童子にとっての守るべき価値観=鬼の生き方を表しているとも考えられる。

“慝”は不正や悪事を意味する言葉だが、ここでは貴族を中心とした朝廷が酒呑童子たち鬼の一族を悪として断じているということだろう。

その朝廷に対して、酒呑童子は仲間あるいは自分たちの価値観を守るために戦い、血で赤く染まっているということだろうか。

“等閑”は物事を軽くみて、いいかげんに扱うというあまりよくないイメージの言葉だが、ここでは酒呑童子が朝廷からの罵倒や非難などを気にして信念を曲げるようなことはしないということを表していると思われる。

鬼の生き方を捨て朝廷の価値観に合わせることはないということだ。

刻を 遺す 鬼の名 彩(だ)み 孳尾(じび)の儘(まま)に

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

“孳尾”は鳥獣が交尾して子を産み育てるという意味の言葉だが、ここでは自然の営みといった意味合いだろう。

自然の営みのような生き方(=鬼の生き方)を後世に伝えるということだろうか。

噫(ああ) 是(かく)も 嶮(けだ)し 山(むら)を 何故(なにゆえ) 徒跣(かちはだし)で

趾(あしゆび)尖鋭なる 爪こそ 化人(けにん)の瑕(きず)

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

“嶮し”は険しいことで、“徒跣”ははだしで歩くこと。

“化人”とは鬼神などが人の姿に変わったもののこと。

険しい山を裸足で歩くという人間には真似できないようなことをする酒呑童子。

人間には見られない鋭い足の爪は、酒呑童子が人を超えた存在であることの証だということだ。

刻を 遺す 鬼の名 彩(だ)み 孳尾(じび)の儘(まま)に

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

省略

女(めす)に 窶(やつ)した 謀(たばか)りの綱を 振り解いて

芸に 傲(おご)った 金色の時雨 降り乱れて

光輝を 頼る 者を 嘲(あざけ)る 義は 無かれど

僧に 窶した ト部の礼言(いやごと) 振り落として

酒(ささ)に 盛られた 貞(さだ)しき光を 振り払って

闇夜(あんや)を貶(おと)す者に 諂(へつら)う 気は 更 無し

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

ここで源頼光、そしてその配下の四天王が登場する。

輝をる者⇒源頼光
謀りの⇒渡辺
色の雨⇒坂田金時
ト部の礼言⇒卜部季武
しき⇒碓井貞光

“女に窶した”は、『太平記』で渡辺綱が女装していたことを表している。

“芸に傲った”は、坂田金時が武勇に優れていたと言われていることからきているのだろう。

“僧に窶した”は、頼光たちが酒呑童子を討伐する際に山伏(修行僧)の姿に変装したことを指している。

“酒に盛られた貞しき光”は、頼光たちが八幡大菩薩から与えられた毒酒「神変奇特酒」のことだ。

光輝を頼る者”はその文字によって源頼光のことを指しているが、「光輝=朝廷の権威」に仕える者という頼光の立場も表している。

そして“闇夜”は“光輝”と対比する言葉となっており、朝廷の権威に従わない者=鬼ということになる。

朝廷の権威を信じることを否定はしないが、鬼の生き方・価値観を貶める者に媚び諂う気はないという、鬼にとっての侵略者である朝廷への不服従を表現している。

讒誣(ざんぶ)の海 繋縛(けばく)の河 溺(おぼ)ほす 意趣なら 空(あだ)し

流刑の膿 泥犂(ないり)の苛(か)は 甘噛みか 歪なり

出典: 酒呑童子/作詞:瞬火

“讒誣”は事実ではないことを言いたてて他人をそしることで、“繋縛”は繋ぎ縛ることや自由を奪うこと。

“流刑”は島流しなどの刑罰のことで、“泥犂”は牢獄のこと。

朝廷は酒呑童子たち鬼の一族を一方的に悪と決めつけて、自分たちの価値観に従わせようとしていて、従わなければ武力で討伐しようとしているということを表している。

しかし酒呑童子たちはそんな朝廷に従う気はなく、朝廷側のそんな行いは無意味だと言っている。

徹底して不服従を貫いている。

陰陽座の音楽業界におけるスタンスの表明

この作品は、酒呑童子の朝廷に対する不服従を表現したものであり、また酒呑童子に陰陽座自身を重ねたものでもある。

リーダー瞬火は、“自分たちは王道を歩んでいるつもりでも、音楽業界のスタンダードから見るとそれは邪道と呼ばれるようだ”という趣旨の発言をすることがある。

そのことについて、具体的にどういうことかはっきりとは示されていないが、おそらく商業的な成功を第一と考える人たちから、陰陽座の活動の仕方について批判があったのだと思う。

酒呑童子の歌詞の中で、「光輝を 頼る 者を 嘲る 義は 無かれど」と「闇夜を貶す者に 諂う 気は 更 無し」という部分に、特に陰陽座が主張したいメッセージが込められていると感じる。

光輝”とはおそらく音楽業界における商業的な成功のことを指している。
これに対して“闇夜”は、陰陽座のようにバンドとして本当にやりたいことやファンが望むことのみを追求することだと思われる。

商業的な成功を目指すことを否定はしないが、その価値観のみを正義として一方的に押し付けてきたり、自分たちの活動を貶める者の言葉には決して従わない

これが酒呑童子というに作品における陰陽座の主張だ。

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